「くらし」と「れきし」は表裏一体。 松浦ならではのくらしのススメ。

今福

緑のトンネル。季節の花々。
そんな風景を抜けて、
石造りの階段を登ると見えてくる
今福(いまふく)神社。

約940年の歴史をもつ、
松浦市今福町の氏神さまです。
(おなじ地域に住む人が共同でおまつりする神さま)

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10月1日から
51代目宮司となられた早田さんは、
お仕事上、まちの方とたくさんお話され、
松浦の今はもちろん昔にもお詳しい方。

その早田さんに
「松浦の魅力は何だと思いますか?」と尋ねると
こう返ってきました。

「オンリーワンの魅力は“松浦党”でしょう」。

▲源久公が築城したと言われる「梶谷城趾(今福町)」

▲源久公が築城したと言われる「梶谷城趾(今福町)」

“松浦党”は、光源氏のモデルになった
源隔(みなもとのとおる)の血を引く
源久(みなもとのひさし)が党祖。

誰もが一度は聞いたことがある
源氏と平家の最後の合戦・壇ノ浦の戦いの
勝敗を左右した存在とも言われる武士集団です。

当時、日本に3つあった水軍のうち、
“松浦党”の水軍だけが
海外進出を果たしたとも言われています。

▲梶谷城趾から。源久公もここからまちを眺めていたのだろう

▲梶谷城趾から。源久公もここからまちを眺めていたのだろう

一部では“海賊”というイメージもある
“松浦党”ですが、時は戦国時代。
本当に強い人しか生き残れない時代。

源氏も、平家も、誰もが戦い、
生き残ろうと、家族を守ろうと
必死にならざるを得なかった時に、
日本の歴史に爪痕をのこした
実力の持ち主なのです。

早田さんは、
この“松浦党”の物語こそが
松浦市が全国にアピールできる
オンリーワンの魅力だと感じ、
20年以上も研究していらっしゃるそう。

▲源久公が上陸したと言い伝えられる「ぎぎが浜(今福町)」。

▲源久公が上陸したと言い伝えられる「ぎぎが浜(今福町)」。

また、もう一つ研究されているのが
松浦市内の地名の由来。

例えば、今福神社のある
今福町(いまふくちょう)は、
“今より福の生ずる処”として
言い伝えられた地。

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他にも、
血田、逃げの浦など
文字どおり“松浦党”に
関連する地名もたくさん。

「地名は昔の人からのメッセージ。
それを“土”として
どういう“花”を咲かせるか。
つまり、どう楽しむかは私たち次第。」
と話してくださった早田さん。

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日々を過ごしていると、
周りが羨ましく思えたり、
先ばかり考えてしまうことも
少なくありません。

けれど、
日々を楽しむことも
まちを元気にすることも
ヒントは足元にある。
そう感じ取ることができました。

お仕事の枠を超えて、
まちに、歴史に、深く
根を張っていらっしゃる早田さん。

その背中から、
地域の暮らしを楽しむヒントを
学べるような気がしています。

早田 伸次 さん

松浦市生まれ、松浦市育ち。高校・大学時代はラグビーに没頭。大学卒業後、東京で営業職などを経験し、実家・今福神社へと戻る。2016年10月1日より、今福神社51代目宮司に就任。花火大会やおくんちなど、地域の行事にも精力的に取り組む。趣味は、食、お酒、自転車、旅、読書、音楽、松浦党など多彩。

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