「くらし」と「れきし」は表裏一体。 松浦ならではのくらしのススメ。
今福
2016.10.23
緑のトンネル。季節の花々。
そんな風景を抜けて、
石造りの階段を登ると見えてくる
今福(いまふく)神社。
約940年の歴史をもつ、
松浦市今福町の氏神さまです。
(おなじ地域に住む人が共同でおまつりする神さま)
10月1日から
51代目宮司となられた早田さんは、
お仕事上、まちの方とたくさんお話され、
松浦の今はもちろん昔にもお詳しい方。
その早田さんに
「松浦の魅力は何だと思いますか?」と尋ねると
こう返ってきました。
「オンリーワンの魅力は“松浦党”でしょう」。

▲源久公が築城したと言われる「梶谷城趾(今福町)」
“松浦党”は、光源氏のモデルになった
源隔(みなもとのとおる)の血を引く
源久(みなもとのひさし)が党祖。
誰もが一度は聞いたことがある
源氏と平家の最後の合戦・壇ノ浦の戦いの
勝敗を左右した存在とも言われる武士集団です。
当時、日本に3つあった水軍のうち、
“松浦党”の水軍だけが
海外進出を果たしたとも言われています。

▲梶谷城趾から。源久公もここからまちを眺めていたのだろう
一部では“海賊”というイメージもある
“松浦党”ですが、時は戦国時代。
本当に強い人しか生き残れない時代。
源氏も、平家も、誰もが戦い、
生き残ろうと、家族を守ろうと
必死にならざるを得なかった時に、
日本の歴史に爪痕をのこした
実力の持ち主なのです。
早田さんは、
この“松浦党”の物語こそが
松浦市が全国にアピールできる
オンリーワンの魅力だと感じ、
20年以上も研究していらっしゃるそう。

▲源久公が上陸したと言い伝えられる「ぎぎが浜(今福町)」。
また、もう一つ研究されているのが
松浦市内の地名の由来。
例えば、今福神社のある
今福町(いまふくちょう)は、
“今より福の生ずる処”として
言い伝えられた地。
他にも、
血田、逃げの浦など
文字どおり“松浦党”に
関連する地名もたくさん。
「地名は昔の人からのメッセージ。
それを“土”として
どういう“花”を咲かせるか。
つまり、どう楽しむかは私たち次第。」
と話してくださった早田さん。
日々を過ごしていると、
周りが羨ましく思えたり、
先ばかり考えてしまうことも
少なくありません。
けれど、
日々を楽しむことも
まちを元気にすることも
ヒントは足元にある。
そう感じ取ることができました。
お仕事の枠を超えて、
まちに、歴史に、深く
根を張っていらっしゃる早田さん。
その背中から、
地域の暮らしを楽しむヒントを
学べるような気がしています。

早田 伸次 さん
松浦市生まれ、松浦市育ち。高校・大学時代はラグビーに没頭。大学卒業後、東京で営業職などを経験し、実家・今福神社へと戻る。2016年10月1日より、今福神社51代目宮司に就任。花火大会やおくんちなど、地域の行事にも精力的に取り組む。趣味は、食、お酒、自転車、旅、読書、音楽、松浦党など多彩。